こんにちは!
涼しかった7月前半とはうって変わって暑い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか? 前回に引き続き、シマダグループロシア研修旅行の後編(サンクトペテルブルク)です。
サンクトペテルブルクについて
ソ連時代は「レニングラード」という名前だったので、そちらの方が馴染みのある方もいらっしゃるかもしれません。人口約500万人(人口100万人以上の都市として世界最北端)、ロシア第二の都市です。 北西に西欧の国々、西にバルト海が広がる西ヨーロッパに一番近い都市。18世紀初頭、「西洋に開かれた窓」としてピョートル大帝によって築かれ、社会主義国へと移行する1917年までロシア帝国の首都でした。 街中を縫うように流れる水路・運河沿いに、絢爛豪華な宮殿や教会が建ち並んでいます。我々が訪れたのはちょうど白夜祭のシーズンで、世界からの観光客が最も多い時期でした。
いくつもの建築(主に世界遺産)を限られた時間のなかで視察しましたが、職業病でしょうか「日本の世界遺産のアレと比較すると、アレがアレなところがアレかな。。。」と考えてしまうことが多かったので、以下そういう趣向で書いてみます。ちょっと強引なところもありますがそこはご容赦のほど。
鉄路でサンクトペテルブルクのモスコーフスキー駅に到着。
駅舎の天井デザインや金文字の路線サイン、なぜそこ?という場所に置かれた彫像(昔はレーニン像だったそう)などに、そこはかとないソ連風味を感じます。
到着して休む間もなくエルミタージュ美術館へ。美術ファンには言わずと知れた世界三大美術館のひとつで、世界遺産でもあります。 広々とした宮殿広場に面していますが、美術館に入る前に目についたのが広場中心にある「アレクサンドルの円柱」。1834年にナポレオンに勝利した記念に建てられました。
ガイドさんによれば世界一高い、重さ600トンの1枚岩から出来ている(全体では高さ47.5m)そうで、それだけでも驚きですが、何とこの円柱、地面にも台座にも固定されておらず、置いてあるだけなのだそうです。日本から来た人間としては「地震でもあったらどうすんだ?」と近寄りたくない塔ですが、ロシアはユーラシアプレートの真上にあり、地震が少ない国であるのは間違いありません。
過去300年の地震発生地点。サンクトペテルブルクでは確かに起こっていません。日本は。。。
そうはいっても、と釈然としないものを感じたので、このアレクサンドルの円柱がどのくらいで倒れるものなのか、日本に戻ってちょっと検証してみました。
平面に静止している質量M,半径r,高さhの円柱の重心に水平方向の加速度を徐々に加えていくと,加速度aが a’ = 2rg/h を超えた時,剛体は傾き始める.ここで,gは重力加速度(980Gal)である.a’は直方体の高さと幅の長さの比にのみ依存する.(Westの式)
一枚岩自体の高さは25.6メートル。円柱の直径は3メートルなので式に当てはめると、a’=115Gal で倒れる可能性があるという計算になります。
置いてあるだけ、というのは日本でも厳島神社の大鳥居なども実はそうらしいのですが、この円柱と似たようなサイズ感ということで、ここでは京都の東寺(教王護国寺)の五重塔(世界遺産。高さ54.8m)と比較してみましょう。
阪神大震災(最大加速度が約900Gal)のときの京都の震度が5でした。これを加速度に換算すると80~250gal(気象庁による)ですので、五重塔の代わりにアレクサンドルの円柱が京都に建っていたら、、、と仮定すると、倒れていた可能性が高いと思います。地震動と建造物の挙動には色々な要素がからむので確実とは言い切れませんが。
上田篤編「五重塔はなぜ倒れないか(新潮選書)」を久しぶりに本棚から取り出して読んでみました。この本、上田先生の仮説に対して私も大学で教わったことのある先生方がさらに独自の検証を加えているのですが、「なぜ倒れないか」についての理論が結構バラバラなところが面白いです。日本の古典建築の地震に備える知恵が、現代においてもまだ先端的というのが愉快ですね。
東寺の五重塔の断面。中央の心柱を含めて柔構造になっており、地震時は全体で「スネークダンス」をするのだそう。
いずれにせよ、地震のことを気にしないで建造物を設計できるのはいいな~と思いつつ美術館の中へ。
エルミタージュ美術館
「エルミタージュ」はフランス語で「隠れ家」の意味だそうです。もともとはエカテリーナ2世が自分専用の展示室として建設した建物だったので、意味としては確かにおかしくはないのですが、こんなに目立つ隠れ家があるだろうか、という疑念?を抱かざるを得ません。
蘆花恒春園(京王線芦花公園駅にほど近い公園で、弊社の手がけた物件も周辺に多数ございます)にある徳富蘆花の旧宅です。
さすがの世界三大美術館で、世界中の見学者でごった返しています。
大使の階段(高さ20mにも及ぶ吹き抜けの空間で、諸外国の大使たちがこの階段を上って皇帝に謁見)
王座の間(重要な国の儀式が行われた部屋。ロマノフ王朝の紋章である双頭の鷲を刺繍した赤い王座が正面に鎮座)
せっかく訪れたからには全ての作品を見るぜ!と意気込んでいたのですが、何しろ所蔵300万点といわれる世界最大の美術館です。滞在時間内に1秒あたり400点以上見なければならない計算となることがわかり、2秒で諦めました。
世界遺産でもある建物と作品に同時に包まれることの贅沢さを満喫しようと方針を切り替えましたが、不思議に感じたのは、我々以外にも見学者が大勢いて混雑しているにも関わらず、何故これほど開放的に感じるのだろう?ということです。確かに天井も高く、空間がゆったりしているのが大きいのですが、それ以外に二点ほど挙げてみると、、、
① たっぷりの「自然光・風」
② あっさりの「防犯体制」
①については、最近でこそ自然光の溢れる美術館はそれほど珍しくありません(軽井沢の千住博美術館など)が、作品の保護・保存という観点ではなかなか難しい点が多かったのです。紫外線が作品に悪影響を及ぼす(鎖結合した油脂などの結合を切り離してしまうため、日光が入る部屋の壁に油絵を掛けておくと、表面が分解して脆くなる。酸化漂白作用があるので彩度が失われかすんだ色になる。紙のような繊維は茶褐色に焼けを起こす、など)ので、自然光などとんでもない、人工照明ですら可能な限り抑えて(蛍光灯でも自然光の1/1000の紫外線を含むため)、それでいて作品が見えやすいような照明環境とする、ことのがよい美術館の設計条件の一つでした。(LED照明はほとんど紫外線を含まないのですが、今度は演色性の高いものが少ないという問題がある)
有名な「放蕩息子の帰還(レンブラント)」も自然の光の下で見ると格別に素晴らしいです。
相当マニアックな話になりましたが、そういう「常識」があったので、この美術館の自然光の入れっぷりには驚きました。ガラスは千住博美術館のように紫外線をカットするガラスあるいはフィルムを使っていると思います(たぶん)が、サンクトペテルブルクにしては暑い日だったせいか(空調のない部屋もある)、部屋によっては平気で窓を開け放っていました。こうなると自然光だけでなく、海も近いので今度は潮風の影響も気になります、、、大丈夫なんでしょうか。
運河(ネヴァ川)が見えます。サンクトペテルブルクには大小100以上の運河・水路があり、「北のヴェネチア」と呼ばれています。
ただ、おかげで?美術品に向き合うには圧倒的に気持ちのよい空間となっていました。窓(全部で1,945の窓があるそう)の外の運河に浮かぶ小舟を眺めながら作品を巡る、これは他の美術館ではなかなか味わえない空間体験ではないかと思います。
もうひとつ、② は、世界的な名画がゴロゴロ展示してあるのに、日本の美術館では室ごとに見かける監視員や警備員の姿が少なく、柵(ポールパーティション)も、あったとしてもかなり作品に近く「見学者が触れないように」という本来の役割を全く果たしていなさそうだったこと。手で触れられそうな距離で作品を見られるのはとても贅沢です。監視カメラもあまり見当たらず、相当「おおらか」な環境で作品を味わえるつくりになっているなあ、と好ましく思いましたが、一方でどういうセキュリティになっているのかとキョロキョロしてしまいました。私の他にもキョロキョロしているメンバーがいましたが、我々は組織的な絵画窃盗団ではありません。
カラヴァッジオの初期の傑作「リュートを弾く若者」もさらりと飾ってあります。手で触れられそうなほどに。
ただ「あれで本当にセキュリティは大丈夫なのだろうか」と日本に帰って調べてみたところ、やはり大丈夫ではなく、エルミタージュ美術館では何度も盗難事件が起こっているようです。比較的最近で大規模なのが2005年ごろ、18〜20世紀の宝飾品やイコン(聖画像)など計221点の展示物が盗まれていたことが判明しました。被害総額は少なくとも500万ドルに上るとされます。ロシア文化遺産保護局のボヤルスコフ長官は記者会見で、ロシア国内の美術館や博物館では窃盗事件が毎年50〜100件程度起きている、と明らかにした上で、エルミタージュ美術館での窃盗被害に対して「偶然ではなく、自然の法則だ」と説明したそうです。何だか妙にカッコいい言い回しになっていますが、おそらく美術館として常識的なセキュリティシステムを組むのにもコストが掛かり過ぎるのでしょう。何せ全ての展示室を回ると、歩行距離で20kmを超えるそうですから。。。
エカテリーナ宮殿
次に向かったのが、これも世界遺産のエカテリーナ宮殿です。
最初に建てられたのは、1717年。エカテリーナ1世がドイツの建築家を雇い、夏の避暑用に滞在する宮殿として造らせたのがはじまりです。そして、エカテリーナ1世の娘である第6代ロシア皇帝エリザベータによって大規模な増改築が行われ、現在の姿となりました。
入口までの道のり 奥行きを感じさせる建物構成 さわやかな空色の塗装が目を引きます。
エリザベータの命により、1752年から4年の歳月をかけて大々的に建て直された宮殿の改装を任されたのは、エルミタージュ美術館との建設にも関わっていた、宮廷付きのイタリア人建築家バルトロメオ・ラストレッリ。
外観はそれほどでもないのですが、いったん建物の中に足を踏み入れると、とにかく絢爛豪華な金色の装飾に圧倒されます(下記3枚「大広間」の写真)。
エリザベータによって買い集められた絵画を贅沢にもパッチワーク状に組み合わせて並べ、壁紙(㎡換算でいくらなんだろう。。。)扱いにしています。見付巾をタテヨコ揃えた金色のフレームワークと中央のデルフト焼きの暖炉が、妙に現代的なミスマッチ感を醸し出しております。
エカテリーナ宮殿のなかで最も有名な部屋は「琥珀の間」です。部屋の四方が様々な色の琥珀によって埋め尽くされており、目がくらむようです。
パステルカラー調の部屋もあります。テイストが違うのは、エリザベータが増築した部分だからとのこと。
順路の最後の方に、エカテリーナ宮殿の復元の歴史を展示したスペースがありました。
美術品(シベリアに疎開させていた)以外、かなりの部分が第二次世界大戦後に復元されたもの、くらいの事前知識はあったのですが、まさかこれほど壊滅的な状態からの復元(修復)だとは思っておらず、たいへん驚きました。
エカテリーナ宮殿は第二次世界大戦の折、ドイツ軍の侵攻にあい900日も包囲され餓死と凍死で人口の1/3を失ったサンクトペテルブルクの歴史の証人という一面も持っています。サンクトの郊外に位置するこの宮殿もドイツ軍に占領され、破壊されました。琥珀の間の琥珀はすべて持ち出され、2点の装飾品を除いて行方は未だ知れません。現在展示されている全ての部屋の内装は、戦後復元されたものなのです。
写真を見比べてみると、よくもここまで、、、と復元にかける「執念」のようなものを感じます(現在も復元が進んでいる部屋がありますが、例えば「エメラルドの間」は修復不可能ではないかと言われているそうです)。
ここで、さらに話がマニアックになりもはや誰も止められない状態になるのですが「文化財の復元とその真正性(オーセンティシティ)」というものについては改めて考えさせられました。
文化財、特に風雨に晒されたり戦火や震災に遭う可能性の高い建築物は、必ず補修や場合によっては資料に基づいた復元が必要になります。そのとき、構造基準・防災基準・バリアフリー基準など、現代の基準に建物を合致させる方を優先させるのか? それともあくまで元あった姿の再現性を重視するのか? これは結構デリケートな議論が必要になります。
今日の世界遺産の選定基準でもかなり厳しく定義されています。
文化遺産の種類,その文化的文脈によって一様ではないが,資産の文化的価値(登録推薦の根拠として提示される価値基準)が,下に示すような多様な属性における表現において真実かつ信用性を有する場合に,真正性の条件を満たしていると考えられ得る。
- 形状,意匠
- 材料,材質
- 用途,機能
- 伝統,技能,管理体制
- 位置,セッティング
- 言語その他の無形遺産
- 精神,感性
- その他の内部要素,外部要素
要するに、この条件に合致しないような「復元」では、文化財としての価値を認めることはできませんよ、と言っているのですが、ここでは身近な例として、最近日本で開催されたG20で図らずも?話題になった大阪城(世界遺産でない)を挙げてみます。
面白い記事があったので、少し長いですが引用してみます。(青字:週刊新潮2019.7.11号)
大阪城天守を指して、「あれは自慢のお城です。エレベーターまでついているんですよ」というのはナニワっ子の定番ギャグ。安倍晋三総理は先般のG20の夕食会で、これを念頭に笑いをとろうとしたのだろうか。
「150年前の明治維新の混乱で、大阪城の大半は焼失しましたが、天守閣は今から約90年前に、16世紀のものが忠実に復元されました」と解説し、こう続けた。
「しかし、一つだけ大きなミスを犯してしまいました。エレベーターまでつけてしまいました」
これに対し、「バリアフリー軽視だ」「障害者への配慮がない」と、非難の大合唱が起きているのは、ご存じの通りである。参院選を前にした思わぬ敵失に、野党もここぞとばかりに攻勢をかけているが、
「総理の発言の問題点は、そこではありません」と、さる城郭研究家は苦虫をかみつぶす。
「今の大阪城天守が、総理が言うように忠実に復元されたものであるなら、史実と異なるエレベーターの存在は“大きなミス”と言って差し支えない。でも、あの天守は“忠実”と正反対の建築なのです」
ここは一つ、ご高説に耳を傾けるとするか。
「豊臣秀吉が築いた大阪城は大坂夏の陣で灰燼に帰し、その後、1~十数メートルの盛り土をして豊臣の痕跡を消し、徳川家が諸大名を動員した天下普請で、1620~29年に新造したもの。その間、築城技術が大きく進歩したため、徳川天守は豊臣天守より高く、天守台の表面積も二回りは大きい。ところが、1931年に建てられた今の天守は、徳川の大きな天守台上に、大坂夏の陣図屏風を参考に豊臣天守を再現しようとした“なんちゃって建築”なんです」(後略)
一体どういうことでしょうか。簡単に言うと、大阪城天守は大きく分けて豊臣期と徳川期でそれぞれ別ものでした。大きさも色も、場所すらも全然違っており、豊臣期は高さ40mで黒漆塗りの真っ黒だったのに対して徳川期は高さ58mで真っ白だったと言われています。
つまり現在の大阪城は、徳川期「風の」天守台の上に豊臣期「風の」天守閣を混ぜこぜにして、さらに壁の色や屋根のレイアウトも変えるなどかなり自由奔放なアレンジを加えて、鉄骨鉄筋コンクリート造で作られたものだったのです。今考えるとかなり乱暴な話ですが、90年前はそれが普通だったのかもしれません。その時期に日本中でたくさんの天守閣が同様の「復元(的なもの)」により再建されています。
したがって、こと「真正性」の観点からは結構いい加減なものと言わざるを得ず(エレベーターを付ける付けないの話ではない)、世界遺産に認定されることは今後もおそらくなさそうです。ただ、大阪城天守は、「現存する鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)で出来た世界最古の建物」らしいので、しばらくするとこの面での価値は高まるかもしれません。
金閣寺の場合
これに対し、エカテリーナ宮殿に負けない金ピカ建築である京都の金閣寺(正式名称鹿苑寺。世界遺産)の復元はかなり忠実であると言われており、メンテナンスもしっかり施されています。
放火事件により焼失したのが1950年で、その5年後の1955年に金箔2kg、10万枚を使い再建されました。その後1987年に昭和の大改修で、以前の10倍の金20㎏使い張替え、さらに平成の改修で金箔の全面補修と屋根の吹き替えを行い、この時も20㎏の金が使用されています。
放火事件(動機は「美しさに嫉妬したから」だそうです。余談ですがこのブログを書くために三島由紀夫の小説を読み返し、あらためて文章の凄みを感じました)に関するWikipediaのページに下記のような記載があります。
金閣は明治時代に大修理が施されており、その際に詳細な図面が作成されていたことからきわめて忠実な再現が可能であった。
事件当時の寺関係者の回顧談等によると、焼失直前の旧金閣はほとんど金箔の剥げ落ちた簡素な風情で、現在のように金色に光る豪華なものではなかった。また修復の際に創建当時の古材を詳細に調査したところ金箔の痕跡が検出され、本来は外壁の全体が金で覆われていたとの有力な推論が得られたことから、再建にあたっては焼失直前の姿ではなく創建時の姿を再現するとの方針が採られた。
世界遺産にもしっかり認定(1994年)されていますが、1994年というのが注目すべきところで、実はそのとき世界遺産における「真正性」の概念が大きく変わったから認定されたということです。堅牢な石の建造物を主体とするヨーロッパの文化遺産と違い、木や土を主体とするアジアやアフリカの文化遺産は、保存の仕方が異なってくる(屋根ふき材や木部等を取り換えるので)ため、それまでは世界遺産として認められることはなかったのです。1994年に奈良市で開催された「世界遺産の真正性に関する国際会議」で採択された「奈良文書」において、真正性はそれぞれの文化的背景を考慮するものとし、木造建築などでは、建材が新しいものに取り替えられても、伝統的な工法・機能などが維持されていれば、真正性が認められることになったのです。「価値」は時代によって変わる、というよい例ではないでしょうか。
最近ではパリのノートルダム寺院が炎上してしまいました。
これも復元の仕方を巡って活発な議論が行われていますが、完全に元のまま復元すべきという意見の他に、ガラスの屋根にしよう、とか上にプールをのせよう、とか奇抜な案を出している建築家もいます。「価値」が時代によって変わるように、「真正性」の定義も今後さらに変わっていくんだろうな、という予感がします。
エカテリーナ宮殿も、大阪城も、今現在であれば復元の方向性が少し変わったものになっていたかもしれませんね。
さて、サンクトペテルブルクは他にも素晴らしい建築がたくさんあります。聖イサク大聖堂、マリインスキー劇場、血の上の救世主教会、、、いずれも大変素晴らしくそれぞれが語りがいのある建築ですが、さすがに長くなり過ぎたので以下写真のみで。拡大していただくと見やすいのですが、色彩感や密度感がやはり西欧の歴史的建造物とは少し異なるような気がします。
おわりに
今回、かなり駆け足での訪問ではありましたが、ロシアという大国の歴史・人・建築に親しみを覚えるきっかけになりました。「プーチン大統領 クリミアをバイクで疾走 実効支配を内外に誇示(2019.8.11)」みたいな新聞記事も自然に目に入るようになり、「ロシアってそういうとこあるよね」と受け流す?余裕もできたように思います。
意外かもしれませんが、少なくとも海外からの旅行者が多く来訪するような場所では、ロシアというのは西欧諸国にはない雰囲気を持ち、刺激がありながらも安心感のある旅を楽しめる国と感じました。
今回訪れることはできませんでしたが、個人的にはバーニャ(ロシアの伝統的サウナ)やダーチャ(ロシアの菜園付き別荘のようなもの)など、ロシアの人々の日常に触れられる場所に将来是非訪れてみたいと考えています。
g.o.A.T.