梅雨が明けそうで明けない、今日この頃。皆様如何お過ごしでしょうか。
昨年の梅雨明けは7月24日ですので、もう少しで気持ちの良い晴天続きの日がやって来るはずです。
タイトルの『御殿山』から、武蔵野市御殿山を想像した方もいらっしゃるかもしれません。
吉祥寺と三鷹の中間、井の頭公園周辺の一帯ですが、今回取得したのは『品川御殿』の御殿山です。
高台の御殿山から東京湾に至る品川宿を見下ろす風景は、浮世絵にも多数描かれています。
「富嶽三十六景東海道品川御殿山ノ不二」にも描かれているように、桜の名所でもあったようです。
この辺りには将軍家や財閥の家が並んでいましたが、江戸時代には徳川家の鷹狩りの名所でした。
鷹狩りは戦のシミュレーションとして、五代将軍綱吉により「生類憐令」が出されるまで、幕府の
年中行事となっていたようです。
その後、八代将軍吉宗により鷹狩りが復活し、目黒の「鷹番」の地も鷹狩りに由来します。
武蔵野市の御殿山もやはり鷹狩りの名所で、井の頭公園の湧水を飲んで疲れを癒したとされています。
話は変わりますが、お台場が外国船から東京湾を守る為の砲台地だった事は御存じでしょうか。
砲台場から「台場」となり、幕府が造った物なので尊敬語がついて「お台場」となったそうです。
出典:台場の歴史 http://www.tptc.co.jp/park/01_01/history
黒船来航から2ヶ月後に設置された砲台は、現存する第3台場(台場公園)、第6台場から御殿山南部の
御殿山下台場まで6箇所の砲台が造られたそうです。(御殿山下台場は現在の台場小学校)
尚、台場エリアの埋立地には御殿山や高輪の八ツ山を削った土が使われたそうです。
御殿山は、国土防衛や東京湾沿岸の発展にも一役買っているんですね。
そんな御殿山の地には、初代総理大臣、伊藤博文も住んでいました。
その場所はその後、三菱財閥創業家の岩崎家別邸が建てられ、現在も三菱グループの迎賓館として、
「開東閣」の名で存在していますが、一般公開はされていません。
広大な敷地の奥に建っていて、道路からはほとんど見えませんが、明治時代の洋風建築の巨匠、
ジョサイア・コンドルの設計です。
出典:ウィキペディア
御殿山を東西に横断する旧ソニー通りの南側には、1930年代の洋風邸宅を再生した、現代美術の
原美術館が有ります。
その脇には御殿山庭園が有り、人工の滝や回遊庭園など、都心立地ながら緑溢れる素敵な環境です。
その北側にはプレミアムホテル、東京マリオットホテルが有り、一帯はとてもお洒落な雰囲気です。
ちなみに、ソニー通りから原美術館に向かう道には、この地の歴史を改めて感じる札が立っていました。
江戸幕府創設から約420年、御殿山の地はそれぞれの時代を動かした方々と縁の深い街ですね。
建物は古いですが、素敵な環境の都心立地のファミリー世帯12戸のマンション。
詳細はいずれ、建物のbefore/after等も交えて御紹介予定です。
追伸
私は若かりし頃、初めて「御殿山」の地名を読むとき、「おとのやま」と読んでしまいました。。。
とても恥ずかしい思いをしましたが、色々勉強すると、間違ってもいない気がします。
今回は江戸時代の殿や、初代総理大臣の話にふれましたが、私はまた違った意味で、一時代を築いた
「殿」の事が忘れられません。
白塗りの顔から真上に伸びるチョンマゲのあの姿。
哀悼の意を込めて、今宵も酒のつまみにコントを拝見したいと思います。
ウッキー